奏始皇帝 (万里の長城、西安の始皇帝陵兵隊俑などで知られる)奏始皇帝が焚書(ふんしょ)を行い、宰相として李斯(りし)を採用、唯一の漢字目録を作成されました。数が 3300字に制限され、以下の規則に沿い、既存の漢字から創出:
基本音声 + 部首
理論上では、56の部首と、57の基本音声があれば目録を作成できることになりました(56+57+56x57=3305)。字は、一定の四角に書かれ、筆使いが小篆(しょうてん)を規定しました。
7回目の目録編纂。漢字総数は7800に上りました。地方によって、音が異なり始め、転写の間違い、奇字が見受けられるようになり、漢字創成期の李斯の時代から、増加しました。そのため、もともとは非常に簡素であった体系まで遡るのが困難になりました。許慎(きょしん)の死後に出版された説文解字(せつもんかいじ)の中では、李斯(りし:紀元後96)の目録から派生した9353字が4種、540部首に再分類されます。
文字は大きく4つに分けられます: 象形、指事、会意 (9353字中20%)、形声(残りの80%を占めます)です。